略歴

2016年4月10日 志木市議会議員選挙 初当選 得票数3669票 トップ当選

2017年10月22日 第48回衆議院議員総選挙 初当選 得票数74287票

 

経歴

昭和49年2月17日生まれ。志木市生まれ、3児の父。志木市立宗岡小学校、宗岡第二中学校、青山学院高等科、青山学院大学理工学部進学・卒業後、会計事務所勤務。療養病院、老人保健施設や特別養護老人ホーム、リハビリ病院、予備校や専門学校など、中小企業に従事。関東信越税理士会会員。志木市議会議員1期。

 

 

所属委員会

 

衆議院 総務委員会

衆議院 経済産業委員会

衆議院 東日本大震災復興特別委員会

衆議院 政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会

自由民主党

 

内閣第二部会 副部会長

自民党青年局 次長

厚生労働関係団体委員会 副委員長

総務部会・経済産業部会

国会対策委員会委員


所属議員連盟

自由民主党サービス産業振興議員連盟

国民歯科問題議員連盟

トラック輸送振興議員連

新憲法制定議員連盟議員連盟

社会福祉推進議員連盟議員連盟

日本会議国会議員懇談会議員連盟 

自由民主党都市公園緑地等整備促進議員連盟

児童の教養と未来を考える議員連盟

自由民主党看護連盟対策議員連盟

 

発達障害の支援を考える議員連盟

空手道推進議員連盟

リハビリテーションを考える議員連盟

自由民主党小規模企業税制確立議員連盟

日本マレーシア友好議員連盟

自動車議員連盟

自民党LPG対策議員連盟

石油流通問題議員連盟

 


地域での活動(現職、歴職含む)

衆議院議員(1期)

志木市議会議員(1期)

自由民主党埼玉県第四選挙区支部長

社団法人 朝霞青年会議所 理事長

日本青年会議所埼玉ブロック協議会 会長

日本青年会議所 次世代社会創造グループ議長

自衛隊隊協力会 顧問

自衛隊体育学校後援会 顧問

埼玉県防衛協会

新座快適未来都市会議

埼玉中小企業家同友会むさし野地区会

朝霞市倫理法人会

新座志木倫理法人会会員

志木市立志木第二小学校PTA会長

志木市立学校PTA連絡協議会 副会長

地域DE子ども見守り隊 隊長

志木市大塚町内会 副会長



【誕生】

昭和49年(1974年)2月17日に埼玉県の志木市に、穂坂家の次男坊として誕生しました。生まれたときは女の子に間違えられるほどかわいらしかったとのこと。後に妹が誕生し、3人兄弟の真ん中で育ちました。

父親は仕事で家にいる時間が少なく、ほとんど父親不在の家庭環境で育ちました。

父が政治に関わっていたので、いつも家にはいろんな人が出入りをしていました。そんな方々にいつも可愛いがっていただき育ちました。

幼少のころ、父の仕事がうまくいかず、経済的に苦しい時代も長くありましたが、多くの人に支えられて仕事も回復し、おかげ様でここまでやってこれました。

【幼稚園】

幼稚園の頃、2年保育の幼稚園に通う兄をみて、一緒にいきたいと駄々をこね、苦しい家計のなかから3年保育に行かせてもらいました。結構活発な男の子だったらしく先生からはよく叱られていました。

 

近所の田んぼや空き家、工事現場などで遊んだ記憶があります。誰もがつくる「秘密基地」をたくさんつくりました。近所の子ども達と暗くなるまで遊び、またまだまだ田んぼが残っていてよく落ちて泥だらけで母親に怒られました。

【小学校時代】

小学校時代、当時流行していたプロレスごっこなどを教室で行い、先生に怒られることもしばしばありました。このころは、叱られた思い出がほとんどです笑

少年野球(宗岡四区)にも入り背番号10番、キャプテンを務めました。実態は人数がいなく仕方ない人選だったようですが、キャプテンはキャプテン、がんばっていました!

また小学4年生頃から太りだします。食べすぎです笑。給食制限や、昼休み逆上がりの訓練、運動量を増やされたり、とてもたいへんな体でした。足も遅く、運動会の徒競走ではいつも最下位争い、そんな中でしたが、友人の繋がりの中で楽しく過ごしました。

【中学校時代】

中学時代は野球部に所属。激しい練習で体重が激減。平均体重までに戻りました。このころから目が悪くなり眼鏡をかけるようになります。朝練夕練と野球に打ち込みキャッチャーを務めるようになりました。勉強はそこそこでしたが、部活をがんばり部長も務めました。部活引退後、勉強に打ち込み、青山学院高等部に合格しました。


【高校時代】

高校では硬式テニス部に入部。初心者からはじめたテニスですが、こちらも頑張りました。朝練・昼練・夕練とたくさん練習をし、その甲斐があってかチームでNo.3を任せられ、東京大会では団体戦ベスト16にはいりました。こちらも部長を務めチームをひっぱる??というかみんなの支えで務めることができました。

たくさん勉強して高校にはいりましたが、部活も忙しかったのを言い訳にして、みるみる成績が落ちていきます笑。ただ、数学が大好きで、数学の成績だけは落ちずにトップクラスに。他の教科は、どのレベルだかとてもいえませんが、そのおかげで青山学院大学理工学部に推薦入学が決定しました。

【大学時代】

理工学部はほとんどが男子、男くさい生活が続きました。サークルには入らず簿記の専門学校に通い税理士資格の勉強を始めました。理工学部だったので研究・実験も多く、研究室に泊まることもたくさんありました。夜な夜なデータをとったり、解析をしたことを覚えています。研究テーマは「生産効率を高めるための脳波の研究」。人間の単純作業における脳波を測りパターンをだして、ミスする際にでる脳波を解析し、刺激を与えることでミスをなくし、生産効率を高める、そんな実験です。長い実験中、データが全く取れてないことが判明、とにかく焦りまくったことは、今となればほろ苦い良い思い出です。

 

 

【社会人時代】

最初に勤めた会社は会計事務所。公認会計士の先生方にくっついていろんな会社に携わりました。また仕事は先輩からおしえられたものではなく自分で学んでいくものだと指導され、誰よりも早く行って、誰よりも遅く帰る生活を続けていました。そうすると先輩たちもいろいろと教えてくれるようになります。たくさんの会社の内側にはいることで、会社の経営のことを学び、また社会人として大切な基礎を学んだと思っています。その後、医療法人の老人保健施設立ち上げに携わりました。医療系の予備校や専門学校の立ち上げもやりました。新しく事業部を立ち上げることは非常に楽しく勉強になりました。

【地元の青年団体での活動】

地元の青年会議所に所属し環境問題や教育問題、政治の問題などのいろんな社会問題に取り組みました。また、ゴミ拾いをはじめお祭りの手伝いなど、ボランティア活動もたくさん行いまいした。全国組織であったため、埼玉県中だけではなく、全国にたくさんの仲間が出来ました。このつながりはこれからの人生の大きな財産です。

 

2012年には地域の朝霞青年会議所の代表、2014年には埼玉ブロック協議会会長を務めて、埼玉県中の課題に取り組みました。また、唯一の地上戦のあった沖縄県と、東日本大震災で大きな被害のあった福島県との交流を結び、歴史を学ぶとともに復興へ向けた運動に邁進しました。